ロータリー・アン


世界中のロータリー・クラブのうちで男性会員の夫人たちが「ロータリー・アン」という愛称で呼ばれているところが多くあります。この呼称は決して見くびつた類のものではなくて、むしろある興味深い歴史的なきっかけから生じたものです。
 1914年のことでした。サンフランシスコのロータリアンたちがヒューストンで開催されるロータリーの年次大会に出席するために特別仕立の列車に乗込みました。当時はロータリーの行事に出席する婦人ははとんど居なく、列車がロスアンゼルスで停車するまでその列車に乗っていたたった一人の婦人はロータリアン・ブルーニュの夫人だけでした。この駅で列車の乗込んで釆た同じ大会行きのロータリアン達が合流したので、アン・ブリユーニエ夫人は「ロータリアンのアン」ですと自己紹介されました。この肩書は間もなく「ロータリー・アン」となりました。その頃、西部のクラブが次の大会をサンフランシスコで開催するよう正式招請をしていましたから、ヒューストンでの実演に向けて、たくさんの唄や妙技などを計画準備しておりました。ロータリアンの一人は「ロータリー・アン」という歌を書きました。列車がヒューストンの停車場に到着すると、一団の代表者たちが西海岸のロータリアン達を出迎えましたが、出迎えた一人がフィラデルフィアのガイ・ガンデーカーで、その妻も「アン」という名前でした。この二人の小柄な淑女たち、アン・ブリユーニュとアン・ガンデーカーは、男たちの肩に担ぎ上げられ会掲内をパレードしたのでした。それでこの愛称が忽ち出席した夫人たち全員の呼称に使われ、「ロータリー・アン」という呼び名が普及して釆たのです。
 ガイ・ガンデーカーは1923年に国際ロータリーの会長になり、ブルー・ブルーニュは1952年に会長に選ばれました。従ってこの二人の初めてのロータリー・アンはそれぞれ「国際ロータリーのファースト・レディー」となったのです。